2026.02
江戸、明治の頃東京を結ぶ拠点となったのが三津浜だ。今回はこの三津から高浜方面へ!!先ずは三津の高名な神社である厳島神社より。
伊予鉄道三津の駅から海の方に向かって徒歩10分くらいのところにあります。神社内には表忠碑と彫られた巨大な庵治石の石碑があり,まずその大きさに圧倒されてしまいます。日露戦争の際に三津から出兵した人の名前がその裏側に彫られています。揮毫は陸軍大将の秋山好古氏によるものであると伝わっています。

秋山好古氏揮毫の表忠碑

注連石(しめいし)彫られている文字は”年豊人楽”明治18年に建立。揮毫は神主であり書家の三輪田米山、石工は道後温泉養生湯の湯釜を手掛けた石工吉村右三郎の彫りだそうです。

ここから子規句碑のある三津の港へ。汽船乗り場の正面にⅠ基ありました。
十一人一人になりて秋の暮 正岡子規

子規が上京する際見送りに来た10名の友人に向けて詠んだ句。子規や漱石、虚子ら多くの俳人たちはこの三津から汽船に乗り神戸に向かい鉄道に乗り換え東京を目指しました。
この先海側に進むと松山市水産市場となり、その門を入ってすぐのところにとてもユニークな句碑をみつけました。
われに法あり君をもてなすもぶり鮓 正岡子規
ふるさとや親すこやかに鮓の味 正岡子規
われ愛すわが豫洲松山の鮓 正岡子規


明治25年夏目漱石が初めて来松した際、子規の母八重がもてなしたのがこの料理の松山鮓(ちらし寿司)であった。漱石は大変に喜ばれたそうです。句碑には子規に見立てた野球少年がアレンジされている。句にある”もぶり鮓”とはあまり聞かないが地方の方言らしい。 句碑について:松山水産市場協議会が水産市場25周年と小説”坊ちゃん”発表百年を記念して建立したもの。
渡しで渡る観月山
この山には廃寺、堂宇、庵もあり昔は登れば景観もよかったそうだが今は観光の場所としては整備されていないので登る人は殆どいないようで・・、さくらがちらほら咲く頃になるとさらに美しい眺めになります。
次に高浜方面へ!

沖合興居島の手前に四十島【ターナー島ともいう)が見える。
初汐や松に浪こす四十島 正岡子規


寒潮のあふるるちから四十島 河野伊葉
きさらぎの岩肌ひかる四十島 河野伊葉
春を待つ海沿ひを踏む靴の音 河野伊葉